あなたの記憶の1ピース

ジグソーパズルを普及させたい!!!ときたまゲームとか自分についてご紹介。もし余裕があれば大好きなイラストを書いていきたいですが、ブログの更新が安定するまでは無理かなー。あなたの日常にジグソーパズルを。

今更だけどしっかり自己紹介、というか生い立ち。

どうも!
縦横無尽に好き勝手飛び、すべてにおいて下手の横好き極めてるねもはるです。

 

今更なんですけど、本当に今更なんですけど自己紹介をさせていただきます!!

なんか他のブロガーさんのブログ見てたらしたくなったのでさせていただきます。

ただ面白いことは特にないです(笑)

面白くない上に結構えヘビーで自分にしたら長めです(笑)

 

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あと今回は自分のことなのでかなり崩した分になってます。

 

 

 

名前

ねもはる

 

中学の時は、ボディタッチ激しくてホモ呼ばわりされてました┌(┌^o^)┐

当時はまだ眼鏡を付けておらず、視界が悪かったため、パーソナルエリアが近かったのも関係しているかも┌(┌^o^)┐

 

家族構成

 

義父

自分

弟(母の血だけつながっている)

 

趣味

ゲーム、読書、絵を描くこと、スポーツ、寝ること、ジグソーパズルその他もろもろ。

 

年齢

若さがない10代

 

特徴

 

B型

 

171㎝

 

運動音痴

(多分筋肉がなくてできない運動音痴)

 

眼鏡

 

老け顔

 

老け顔の武勇伝として、10歳下の弟と歩いていたら、目の前から歩いてきたおじいちゃんに、父親と間違われた。

当時自分が14~15、弟が4~5歳の時。

一日落ち込んだけど、ポジティブに落ち着いているととらえることにして、笑い話に変えた自分を誰か褒めて。

 

40代~60代にモテるしょうゆ顔

おばちゃんたち曰くジャニーズっぽいらしい。

正直こいつら目大丈夫か?って思うけど、やっぱりうれしい(笑)

 

1000人に1人くらい小栗旬に似てるって言ってくれる。

でも友人に「黙れ、ブサイク」の魔法をかけられ現実に戻される。

 

めっちゃニコニコ

 

中学の時に仏頂面といわれ、笑顔作ろうとしたら笑顔が下手くそすぎて、鏡の前で練習。

そしたら悩みもなく見える笑顔が定着。

接客業のアルバイトをしてから、さわやかスマイルに進化。

 

友人どもは「ピエロかよ」といい、お客さんは「気持ちのいい接客だね」という。

 

とても複雑な心境言うなれば

 

「私、どっちかなんて選べないっ!!」

 

という少女漫画で逆ハーレムを作っている気分です、はい。

 

ただ笑顔でいるとなんでも楽しく感じるし、何より幸せに気づけるようになる。

あーあと性格が明るくなる。

 

とっても短期

 

すぐ切れる。

最近は大人になったので態度には出しませんが、頭の中罵倒がほぼほぼ飛び交ってる。

でも顔はニコニコなので、たまに思想もあわせて、「自分サイコパスなのかも」と思う日がある。

五分も待てない、女の子のラインはスマホの前でスタンバるくらいに短期。

 

腹黒

 

とっても黒い。

大事な親友たちでも真っ黒。まぁ、それも含めて親友と信じてる。違ったら泣く。

 

がさつ、めんどくさがり

 

どんなに好きなものでも一週間もしないで飽きます。

物は大事にしてるつもりでも何故か傷ついていく。悲しい・・・。

 

ぱしられても怒らない器の広さ

 

よく「ちょっとコンビニいってくる~」っていうと、「あ、ついでにこれもお願い」って言われたら全然行く。

てか、自分が労力を使わなければぱしられてもいい。

 

豆腐メンタル(ほとんど冗談が聞かない)

 

直球の悪口は切れる前に、落ち込みむ。

(一度言われたら気づいて、10回目でやっと返しを覚える)

素直

 

基本嘘つきません。

だから冗談の悪口は真に受けちゃう。

 

嘘つくときは台本があるかのように嘘が出る

 

しかも嘘から出た実、本当に起こって事実になったりするのでよりたちが悪い。

 

ひねくれもの

 

絡まったイヤホン並みにひねくれてる。

 

ねもはるは優しさでできています

 

どんなに悪口を考えてもやってあげちゃう癖があります。

かかわった人は皆優しすぎといいます。

でも、ひねくれてるから褒めるところがないんだ、といつも受け取ってる。

 

とにかく明るい

 

いつも笑顔なんで人が寄ってくる。

ただ自分めんどくさがりなんでそれ以上のお付き合いは誘われない限りしない。

ちなみにパンイチなわけではない。

 

1人の時間無いと死にそうになる

 

人といるのもいいですけど、1人で好きなことをする時間もない、パリピな生活は耐えられない。

 

日頃明るい反動が来る

 

日頃テンションが高いのでその帳尻を合わせるかのように感情が一気に冷めたり、関心が消えたりする。あと反動でナイーブな時期が必ず来る。

 

彼女ができない

 

悲しい・・・・・・・。

 

 

 

生い立ち

 

中学

 

部活はサッカー部に所属。

両親が共働きをするため弟の面倒を見るために幽霊になりかける。

部活のない自由な放課後に味をしめ、結局幽霊になる。

でも2年の冬にやる気をなぜか出す。

 

体力だけ部内でトップクラスになるが、足元がダメすぎて試合はほぼ出ることはなかった。不完全で終わってしまう。

 

うまいやつの評価は「一般人より断然うまい」だった。

具体的にはサッカーやってる小学生に負けるくらい。

 

その後、工業高校を目指して勉強する。

中三の夏、親との約束「5教科で360点」を380点とり、スマホを入手。

勉強をなめくさり、やらなくなる。

スマホは悪魔だった・・・。

 

結果第1志望は落ち、10年ほど前までヤンキー高校と知られる高校に入学する。

 

 

高校

 

高校生になり、優等生になることを誓う。学年10位をキープ。一年までは。

バカ高とはいえ、県内トップクラスの高校の滑り止めのやつらもいて、偏差値はバカ高といえないほど高かった。バカ高にしてはのレベルだけど。

 

やってることは子供の悪戯みたいなことが精々。

隠れてタバコ吸ったり、バックレてみたり。

恐れ多いヤンキー高校も丸くなったらしい。

 

部活は気持ちを入れ替えバスケ部へ入部。

三か月の間、本気で打ち込んだ。技術はまたも小学生に負けるくらい。

試合ではサッカーのときのあたり癖が出て必ず退場。今でもなかなか治らない。

 

その後、イラストの道へ進みたくなり、「HAL東京」を目指しアルバイトを始める。

アルバイトが週5だったためバスケ部はやめることに。

 

高1の夏休みのこと。アルバイトはミニストップで働くことにした。

仕事内容は、「接客」「パフェやポテトづくり」「品出し」

結構楽だったし、タイムリーダーを高1で任してもらえるほどには成長した。

しかし110時間も働いて、9万しか貰えなかったことと他の仕事もしたいと思いミニストップをやめる。この時、高2の夏。

 

その後、少し学業に専念した後、焼き肉屋でのアルバイトが決まる。

違う仕事をしたいと思い、キッチンに入る。この時、高2の冬。

 

うちの焼き肉屋のやることは「野菜や肉の仕込み」「肉の解凍」「洗い物」「料理を作る」「声だし」だった。

 

入って半年くらいしてから、仕事できる人トップ10に入った。

(うちはホール・キッチン合わせ50人くらいやっとってるお店で、全国の系列店で行われる大会で、ホール・キッチン共に全国2位を取るほどの優良店だった。今は知らないけど)

 

でも、気づいてしまった。自分にキッチンは向いてないと。

料理を提供するため、綺麗に盛り付けることが出来ず、綺麗さを求めればスピードが、スピードを求めれば綺麗さが。まさに負の連鎖だった。

 

それからは仕事の効率はおち、仕事の出来ない人のレッテルを張られるようになった。

キッチンの仕事で楽しかったのは、声出しと洗い物だった。

店長兼エリアマネージャーにお願いして、ホールにも出させてもらうことにした。

やっぱりホールは楽しかった。

 

それと同時期に問題が起こる。

「HAL東京」へ行くための資金を固めていた時、予想外の出来事が起こる。

 

自分は、奨学金+学生ローン+貯金で行くつもりだったが、親の車が二台とも廃車に。

父の車は寿命で、母の車は事故で、新しい車を買わなくてはならなくなり、学生ローンが借りれなくなった。借りる予定の300万など他で借りれるわけもなく、悔やみながらも進路を変えることにした。

 

次に目指したのは警察官だった。

 

イラストは自分のため、警察官は人のためにやろうと思った。

警察官を目指すためにバイトの時間をなるべく減らし、スマホと定期代を稼げるくらいに抑えた。この時、高3の夏。

 

勉強は難しかったがなんとでもなるレベルだった。1次試験は合格した。

ただ自分の順位は落ちたものしか教えられないので、ギリギリなのかどうかもわからなかった。

 

問題なのは2次試験の筋力試験のほうだった。

先ほども述べたように自分は運動音痴。

どれくらいかというと、中学のときの50m走12秒から進化して高校で7秒くらい。

自身のあった20mシャトルランは自分の受験した警視庁の受験科目にはなく、苦手な筋トレだけだった。その他いろいろな不安要素があった。

 

そして、この大事な時にもっと大事なことを知る。

 

自分の父は、本当の父ではない。自分が小学生2年生の時に、母にどちらについていくかときかれ、母についていくと自分で決めたから覚えている。

今考えれば、小2の子供に聞くことではないなと思う。

 

そして、警察官の受験には自分の家族、血族の名前と住所、勤務地を書く必要がある。

なぜかというと、志望者の周りの身辺調査を行うためである。

(希望する都道府県によってはかなり調べ上げられらしい。)

 

それは自分も例外ではなく。

実父のことがわかるなら聞いてきてほしいとのことで、一度家に帰ってから郵送することになった。

試験が終わった次の日、母に尋ねた。自分の父の名前と住所を知っているかと。

母は教えてはくれなかったが、しつこく必要なことだからというと嫌そうに、渋々教えてくれた。

名前と年齢だけだったが、それでも十分だったので早速配送しようとしたら、母が「本当は成人してから話そうと思ってたけど折角だから」、と自分の出自を話し出した。

 

 

曰く、自分は既婚者だった実父と母の不倫の間に生まれた子だと。

曰く、そのため出生戸籍には父の名前はないと。

曰く、実父には分かれる前に少なくとも娘がいた。だから自分には姉がいると。

曰く、義父にはこの話はしていないと。

 

 

そのときはなんとも思わず、過ぎたこととして話のネタ程度にしか考えていなかった。

 

しかし、あとになって考えるとスゲー人生送っているなと思った。

(何故気づかなかったのかというと、バカ高に来る人たちは結構ヘビーな人生の人が多かったから普通だと思ってた。)

 

もし、あのとき実父を選んでいたら。もし自分が実父を探していたら。

小学生だったからもちろん転校もした。その学校最後の思い出は、実父が自分を迎えに来るといって、学童で最後の思い出を作っていた自分を母が迎えに来ての突然のわかれだった。もしあのとき実父のほうが早かったらと考える。

 

なんか昼ドラになっててもおかしくない生い立ちに笑いたくなった。

今まで普通の人生を歩んでるつもりでも、自分の知らないところで、自分の歯車は勝手に回されていたことに。それを知らぬ義父と実父の家族も勝手に歯車にされていたことが。可哀そうだなーとのうのうと見ていたテレビは自分のIFの世界で、同じテレビを見ていた母は何を考えていたのか分からなくなって。

 

でも、まぁそんなものかとしか感じなかった。

確かに人から見たらぐれてもおかしくないらしいけど、こんなこと自分だけが起きてるわけでも、珍しいことでもない。ましてや10年近く前の出来事を今更嘆いたところでって感じで、達観してたのか、この頃が丁度感情が薄かった時期だったからはわからないけどあっさり過去のことと切り捨てることが出来た。

 

それに今の親友たちに会えた。

 

決して青春が出来ていたわけじゃないしかっこいいドラマがあるわけではないけど、自分はむしろ少ない時間で集まろうとする友人と親友をみて、あーこいつらとの絆はなかなか切れないんだな。って安心したり、懐かしがったり、それはこいつらだからだと思ったよ。

あいつらはそう思ってるか知らないけど。

 

まぁ、少なからず衝撃ではあったけどね(笑)

 

 

自分にとって一番辛かったのはそのあとだった。

さすがに割り切ったとはいえ、二連発はつらかった。

見事不合格を獲得してしまった。

350人合格の720位。受験順位720/2800人くらいかな。

かすりもしなかった。

 

仕方ないから滑り止めの、県立で授業料の安い、技術系の専門学校を行くことにした。

それと同時に焼き肉屋をやめた。高3の1月のこと。 

そしてこの時、アルバイトは一年を目安に変えることを決めた。

 

だが今思うと、これでよかったのだと思う。結局行けたとしてもバイト、バイト、バイトで作品制作も碌に出来ず、お金の返す当てもないよりは。

きつい訓練を投げ出すかもしれない未来がちらついていた警察官よりは。

それに自分、前向きに、明るくっていうのがモットーだから。

楽しく生きたら勝ち。家庭なんて、結果良ければそれでよし。その結果も人から見てクズでも、自分が満足できればよし。

この楽園みたいな生き地獄「日本」で生きるのは誰でもなく自分だから。

ただ人間の尊厳は守らないとだめ。

それに自分の出自も結局は話のネタになってこうやって書いてられるんだから。

こうして自分は流れるまま高校を卒業した。

 

高校に在学中にあることで全国大会へ

 

何でいったかっていうと、

 

弁論という、社会に対する問題点や疑問を自分の経験、考えを解決案も含めて提案し、7分の短い時間で、言葉と文と表現だけで伝え、お互いの意見をぶつけること。演説や演劇に近い。

 

本当は自分の意見のあとに質疑応答があるのだが、高校生の大会というのもあり、質疑応答はなかった。

 

全国大会自体は高校生なら誰でも、審査を通りさえすれば受けることが出来る。

しかし、実績もないとほぼ落とされるので注意が必要。

 

そもそも全国大会と書いたが、全国大会となのつく大会は7つもある。

自分はそのうちの小さいほうの大会に出た。

結果は24人中6位だったが、その結果には満足していない。

自分よりも劣っていて、未来の話しかせず、解決案も出せないような論文が自分よりも上で、自分よりも多くの体験し、日本から飛び出し、海外にまで目を向けていた論文が自分より下だったなんて文句しか出ない。 

 

ただ、弁論を経験したことで自分は視野を広くすることが出来たし、文章力が少し上がったと思っている。もともとしゃべるのは向いているほうだから苦にはならなかった。

それと結果論だが、弁論での相手へ伝えようとした技術がブログでも活かせてると自分では思ってる。

 

警備会社で一ヶ月だけ働く

 

警察官への未練かわからないが警備の会社に入った。もともと自由登校の一ヶ月のつもりだった。

感想は割に合わな過ぎる。

実労働8時間、移動に往復5時間。それに対し日給8000円しか出なかった。

雨でも、雪でも、だ。

よく仕事はお金じゃないというが、人生の使える時間は決まってる。なるべく少ない時間で多く稼げは、もっといろんなことができるのだ。

アルバイトを一年目安で変えることにしたのも、人間が頑張って働けるのは18歳~70歳の52年間。一年ずつアルバイトを変えても52種類の仕事しか経験できないのだ。ダブルワークでも104種類。少なすぎる・・・。

それでも、経験をしたいから就職かブログで生きていけるようになるまではこのスタンスを貫くつもりだ。

ただ、どこのバイト先でも可愛がられて来ているから、やめるというのは心苦しいものがある。

 

専門学校

 

専門学校の思い出は無駄しかない。

いや、それは間違いだ。家からもう少し近ければそうは思わなかっただろう。

自分の通学時間は往復三時間。

それに対し授業は、アマゾンでベストセラーの教科書を読んでるだけ。

MOSマイクロソフトの資格)の実習は早いやつは、独学で進めといわれ放置。

正直言って自分で勉強したほうが早いし、来てまで学ぶことではない。

やる気を持ち、まじめにやろうと来てふたを開ければこの程度のクオリティだったわけだ。

ただ唯一CAD(設計図の資格)だけは学ぶ価値があると思ったが、思い切ってやめた。

今も通学してる友人をみてやめて正解だったと思う。

何も目的も意味も漠然として通うのは何になるのか自分にはわからない。

よく通うことに意味があるっていう大人がいるけど、それが高学歴で就職につけない「できそこない」を作るんだよ。

まぁ、わざとつかない人もいるから一概には言えないけど。

 

意味を持って、学んでいる子供のほうがそんなクソな大人よりずっと立派だよ。

 

現在

 

そして現在に至るというわけ。

 

今はカラオケ屋で働いてるけど、ここももうやめる。

サボり魔が多すぎる。

サボり自体を咎めはしない。だが、仕事を先に終わらせずにサボるのは仕事ができないと言っているようなものだ。

そしてこのままだと腐ると思って、バイトをやめることにした。

 

本当は来月はブログに力を注ぐつもりだったが、新しく決まったバイト先は人手が足りないとのことで来月は合宿免許にしか時間が割けそうにない。

 

 

っていう状況なんですね。

 

いやー、短いのが大好きなねもはるくんにしては随分長く書いてしまいました(笑)

まぁ、たまにはいいでしょう。いいタイピングの練習にもなりましたし(笑)

 

 

そしたら最後に一言

 

 

自分は自分の価値観に誇りを持っています。

年齢を重ねるごとに言うことが変わるこの価値観に。

でもそれは見えないものが見えたからです。

古い意識と新しい意識が芽生える丁度中間の世代(ゆとりに含まれるかわ微妙)の自分たちだからこそ見てるものがあるとも思っています。

ですからこれからもそういった一般人の価値観を記事にしていきます。

 

ジグソーパズルのブログだけどwwwwwwwwwwww

 

と決意表明をしたところで終わりにしたいと思います。

 

ご愛読ありがとうございます。

 

自分の記事が、あなたの記憶の1ピースになれたら嬉しいです。

それではまた会いましょう。

 

 

Good bye(*´Д`*)